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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)12488号 判決 1984年7月20日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 中井川曻一

同 村松靖夫

被告 国

右代表者法務大臣 住栄作

右指定代理人 櫻井登美雄

<ほか一名>

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 木村武夫

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、一〇三二万八八八九円及びこれに対する昭和四八年一一月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告乙山征一は、原告に対し、五〇四〇円及びこれに対する昭和四八年一〇月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告国の答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

三  請求の趣旨に対する被告乙山の答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生から無罪判決確定に至るまでの経緯

(一) 本件事故の発生

原告と被告乙山の二人が乗車した普通貨物自動車(トヨタカローラバン四ドアフロアシフトKE二六V四六年式、以下「本件車両」という。)が、昭和四八年一〇月二一日午後九時四〇分ころ、茨城県日立市千石町三丁目四番六号先の交差点(以下「本件交差点」という。)に同市多賀町方面から大沼町方面に向け毎時約四〇キロメートルの速度で進入した際、折から右方道路から同交差点に進入してきた藤枝邦男運転の普通乗用自動車(マツダファミリア一二〇〇、以下「被害車両」という。)と衝突し、その結果被害車両に乗車していた右藤枝ら四名が死傷し、本件車両に乗車していた原告と被告乙山も負傷する事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(二) 本件事故後公訴提起に至るまでの経緯

原告は、本件事故直後の同日午後一〇時一五分ころ、負傷収容先の同市多賀町二丁目一七番七号所在の井上病院において、本件車両を運転していたのは原告であるとして、本件事故につき業務上過失致死傷罪の容疑で緊急逮捕され、翌同月二二日、日立簡易裁判所裁判官から緊急逮捕状が発せられた。原告は右被疑事件につき、翌同月二三日水戸地方検察庁日立支部検察官に送致され、同日、発せられた勾留状により勾留された。水戸地方検察庁検察官事務取扱検察官副検事井上泉(以下「検察官井上」という。)は、同年一一月一〇日、本件事故につき、別紙公訴事実記載のとおり原告を業務上過失致死傷罪及び道路交通法違反の罪で水戸地方裁判所に起訴した(以下「本件公訴提起」という。)。

(三) 公訴の追行

本件公判審理の経過は次のとおりである。

(1) 第一回公判期日(昭和四八年一一月二八日)

① 原告の罪状認否及び弁護人會澤連伸の意見陣述がなされ、いずれも公訴事実を否認した。

② 検察官申請の証拠として捜査報告書、実況見分調書、原告の供述調書等五二点の証拠書類が証拠として採用され、取り調べられた。

なお、原告は、同日、保釈された。

(2) 第二回公判期日(昭和四九年一月二七日)

原告及び弁護人から証拠調べの請求があり、このうち一部が採用された。

(3) 第三回公判期日(同年三月一二日)

証人寺門則与司の証人尋問が行われた。

(4) 第四回公判期日(同年一〇月一日)

① 期日外で証人尋問がなされた証人小泉一郎、同郡司範雄及び同秦資宣の各証人尋問調書が取り調べられた。

② 証人(本件被告)乙山春夫の証人尋問が行われた。

③ 検察官申請の証拠書類三点が採用され、取り調べられた。

(5) 第五回公判期日(同年一一月二六日)

① 証人石川武夫、同染谷武男の証人尋問が行われた。

② 司法警察員作成の緊急逮捕手続書が取り調べられた。

(6) 第六回公判期日(昭和五〇年一月二一日)

① 証人佐藤千之助の証人尋問が行われた。

② 佐藤千之助作成の昭和四九年八月付鑑定書(以下、同鑑定書及び同人の前記証言を「佐藤鑑定」という。)が取り調べられた。

(7) 第七回公判期日(同年五月二〇日)

検察官の鑑定申請が採用され、樋口健治に対し鑑定が命ぜられた。

(8) 第八回公判期日(昭和五一年四月一三日)

鑑定人樋口健治の昭和五一年二月五日付鑑定書(以下、同人による鑑定結果を「樋口鑑定」という。)が取り調べられた。

(9) 第九回公判期日(同年九月一四日)

証人樋口健治の期日外証人尋問調書が取り調べられた。

(10) 第一〇回公判期日(同年一二月二一日)

① 医師井上温作成の診断書が取り調べられた。

② 証人(本件被告)乙山春夫の証人尋問が行われた。

③ 被告人(本件原告)質問が行われた。

(11) 第一一回公判期日(昭和五二年三月八日)

写真三二枚添付のポケットアルバム一冊が取り調べられた。

(12) 第一二回公判期日(同年九月二日)

検証調書及び期日外に実施した証人尋問調書等が取り調べられた。

(13) 第一三回公判期日(同年一〇月一一日)

① 証人遠藤孚宣の証人尋問が行われた。

② 捜査報告書等が取り調べられた。

(14) 第一四回公判期日(同年一一月二五日)

取寄記録(水戸地方裁判所昭和四九年(ワ)第三七八号損害賠償請求事件の記録)が顕出された。

(15) 第一五回公判期日(同年一二月二六日)

① 実況見分調書抄本等が取り調べられた。

② 被告人(本件原告)質問が行われた。

(16) 第一八回公判期日(昭和五三年七月一九日)

証人(本件被告)乙山春夫の証人尋問が行われた。

(17) 第一九回公判期日(同年一二月二〇日)

論告

(18) 第二一回公判期日(昭和五四年一一月二八日)

① 最終弁論

② 被告人(本件原告)の最終陳述

(四) 無罪判決の確定

水戸地方裁判所は、右事件につき、昭和五五年五月一七日の第二二回公判期日において、被告人(本件原告)に対し無罪判決を言い渡し、同判決は控訴の提起なく同年六月一日確定した。

2  公訴提起の違法性及び検察官の過失

起訴された被告人について無罪判決が確定したからといってそれのみで国に賠償責任が発生するものではないが、無罪判決が確定しているということは、本来、起訴すべきでなかった者を起訴したのであるから、右起訴が客観的に違法であることは明らかである。

公訴事実について客観的に有罪判決を得られる合理的根拠がないのに検察官として当然なすべき注意義務に違反して収集すべき証拠の捜査や証拠の適正な評価を怠り、その結果事実を誤認したり構成要件のあてはめ、法律の解釈を誤って、通常の検察官なら起訴しないものをあえて起訴したような場合にはその起訴は過失に基づくものというべきであるところ、本件事故当時本件車両を運転していたのは原告ではなく被告乙山であり、かつ、捜査の過程においても以下の(一)ないし(四)の事実が明らかになっていたのであるから、これらの事実を総合すると、本件車両を運転していたのが原告であることが一義的に明らかであったとは到底いえず、むしろ証拠関係からみると運転していたのは被告乙山ではないかとの合理的疑いを容れる余地が十分にあったものというべきである。したがって、検察官井上としては、本件事故における衝突の態様、(二)に述べる原告と被告乙山の傷害の部位、本件車両内に飛散し、付着した血痕等により専門家に対し何れが運転していたかにつき鑑定を嘱託して客観的に事実を明らかにすべき捜査上の義務があり、しかも本件においてはルームミラーによる原告の頭部の負傷や飛散した血痕という資料が存し、これによって専門家に鑑定を嘱託して乗車位置を決定するということは比較的容易であったのにこれを怠り、証拠の評価を誤った結果、原告に対して有罪判決が得られる見込みが未だ十分存しないにもかかわらず、原告が本件事故直後に捜査官に対して自分が運転していた旨述べたことを根拠として原告を運転者と認定して本件公訴を提起した過失がある。

(一) 原告は当初捜査官に対して自己が運転していた旨述べていたが、その後の取調べで供述を変え、出発前本件車両に助手席側から乗車して助手席に座ったのであり、その後のことは記憶がなく、本件事故後意識が回復した時には被告乙山は同車内におらず、原告だけが運転席に横たわっていた旨供述するに至っており、これはその後一貫している。原告の当初の供述内容をみると、自動車の運転ができる者ならば誰でも説明しうる程度の一般的なものであるうえ不自然な程前後の関係が整然と述べられているものであり、その意味で、飲酒後間もない酔いの中で突然事故に遭遇して衝撃を受け、しかも被害車の子供が一人死亡するという混乱状態のもとで作成されたものとしてはむしろ異常というべきであるので、原告自身の供述ではなくて捜査官の誘導に従って言われるがままに返事して作られたものであることは疑いないものである。以上のとおりであるから、自分が運転していたか否かについて記憶がないとする昭和四八年一〇月二六日以降の原告の供述こそ、原告が平静を取り戻した後の自己の記憶に基づく供述として証拠価値を有するものである。

(二) 自動車が衝突した場合の乗員の負傷部位については、運転席にいる者はハンドルに衝突して顔面、胸部、腹部を負傷することが多く、助手席にいる者はルームミラーに衝突して頭頂部を負傷することが多いことは経験則上よく知られている事実であり、交通事故の捜査に携わる者ならば当然に知悉しているべき事実であるというべきところ、原告は頭頂部挫創の傷害を負っており、本件車両のルームミラーが脱落していることからこの傷がルームミラーとの衝突によって生じたことは明らかであるし、被告乙山は腹部、右膝、鼻部を各打撲しているので、右受傷部位及び先の経験則に鑑みると、原告は助手席におり、被告乙山が運転席にいたと考えるのが合理的判断というべきである。

(三) 被告乙山は、本件事故直後に負傷している原告及び被害者の藤枝らを放置したままタクシーで帰宅し、帰宅後本件事故時に着用し血痕の付着していた着衣を洗濯してしまうという不可解な行動をとっており、これは被告乙山が運転していたことを十分疑わせるものである。

(四) 本件事故前に原告及び被告乙山と行動を共にし、一緒に飲酒していた郡司範雄は、本件事故の直前、原告が郡司の車の助手席にいったん乗り、その後、被告乙山に呼ばれて本件車両に乗り移った事情を見ていた者であるが、捜査官に対し、「甲野(本件原告)は運転していなかったはずだ。乙山が運転して行ったとばかり思っていた。」旨供述している。

3  公訴追行の違法性及び検察官の過失

本件刑事裁判における最大の争点は本件車両を運転していたのが原告であるか被告乙山であるかという点であったが、その審理の過程でなされた佐藤鑑定と樋口鑑定は、内容において細部に差異はあるものの、原告が本件車両を運転していた事実は認められないとする結論においては一致するものであり、したがって、樋口鑑定が出た段階で原告が犯人でないことが明らかになり、原告に対して有罪判決を得る可能性がなくなったというべきであるから、遅くとも鑑定人樋口健治作成の鑑定書が証拠として提出された昭和五一年四月一三日の第八回公判期日において、担当検察官は原告を被告人の地位から解放するために公訴の取消等の手続をとるべき義務があった。

しかるに、当時公判を担当していた検察官甲斐中辰夫(以下「検察官甲斐中」という。)はこれを怠り、いたずらに審理を継続させた過失がある。

4  検察官による公訴の提起、追行は、公権力の行使にあたるから、被告国は国家賠償法一条の規定に基づき、原告が前記違法な公訴の提起、追行によって被った損害を賠償する責任がある。

5  被告乙山の不法行為

(一) 本件事故は、被告乙山が、本件車両を運転するに際し、運転開始前に飲んだ酒の酔いのため正常な運転ができない状態になったのであるから直ちに、運転を中止し、もって事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、運転を継続した過失により惹起されたものであり、被告乙山の右過失により、本件車両に同乗していた原告は頭頂部挫創の傷害を負った。

(二) 被告乙山は、自己が本件車両を運転して本件事故を起こしたにもかかわらず、起訴前の捜査段階においても、公判廷においても、原告が運転していたとの虚偽の事実を述べて捜査及び審理を誤らせ、もって、検察官の違法な公訴の提起、追行に加担することにより、共同して不法行為をなしたものである。

6  損害

(一) 請求原因5(一)記載の被告乙山の不法行為による損害治療費   五〇四〇円

(二) 請求原因2ないし4記載の検察官の違法な公訴の提起、追行並びに同5(二)記載の被告乙山の不法行為による損害

(1) 本件刑事裁判に要した弁護士費用 合計一〇五万円

原告は、本件刑事裁判につき弁護士會澤及び同中井川を弁護人として依頼し、その費用、報酬等として弁護士會澤に対し、昭和四八年一〇月二三日ころ四万円、同月二五日六万円、同年一二月九日五万円、昭和四九年六月一八日一〇万円、昭和五五年六月一三日三〇万円を、弁護士中井川に対し、昭和四八年一二月一五日一〇万円、昭和四九年六月一八日一〇万円、昭和五五年六月二五日三〇万円をそれぞれ支払った。

(2) 本件刑事裁判において原告が佐藤千之助に対して支払った鑑定費用 二〇万円

(3) 逸失利益 六〇七万八八八九円

原告は本件事故の被疑者として昭和四八年一〇月二一日逮捕され、引続き同年一一月二八日まで勾留され合計三九日間身柄拘束を受け、また、同月一〇日に被告人として起訴された。このため原告は当時勤務していた丙川産業株式会社を退社せざるを得なくなり、当時同会社から得ていた年間一二九万〇六五〇円の収入を失った。したがって、原告は昭和四八年一二月一日から無罪の判決が宣告された昭和五五年五月一七日までの六年間と一六八日間につき前記の収入を失ったものであるからその合計額は八三三万七九五二円になる。

他方、右期間中原告は再就職先を捜したが、刑事被告人という地位にあることから思うにまかせず、ようやく昭和五〇年六月に株式会社丁原鉄工所に就職したものの、そこも同年一二月までしか勤務を続けることができず、その間得た収入は七五万九〇六三円にすぎない。さらにその後は、昭和五一年四月から弟が始めた電気器具販売店の店番等をして月収三万円程度を得るのみであったから、この間に得た原告の収入額は合計二二五万九〇六三円である。

よって、原告が右期間中に失った逸失利益は差引き合計六〇七万八八八九円である。

(4) 慰藉料 三〇〇万円

原告は、無実であるにもかかわらず、六年余という長期間にわたり刑事被告人の地位におかれたのであり、その精神的苦痛に対する慰藉料は三〇〇万円が相当である。

よって、原告は、請求原因2ないし4及び5(二)に記載の被告らの共同不法行為による損害の賠償として、被告ら各自に対し、一〇三二万八八八九円及びこれに対する不法行為の後の日である昭和四八年一一月一一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、請求原因5(一)に記載の被告乙山の不法行為による損害の賠償として被告乙山に対し、五〇四〇円及びこれに対する不法行為の後の日である昭和四八年一〇月二二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告国)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の冒頭本文のうち、本件事故直後に原告が捜査官に対して自分が運転していた旨述べたことは認め、その余の公訴提起の違法性及び検察官の過失の主張は争う。同2(一)の事実のうち、原告が当初自己が運転していた旨供述し、その後、本件車両には助手席側から乗車して助手席に座ったがその後のことは記憶がない旨供述を変えたこと及び被害者の子供が一人死亡したことは認めるがその余は否認する。同2(二)のうち、原告が頭頂部挫創の傷害を負い、被告乙山が腹部、右膝、鼻部を打撲し、本件車両のルームミラーが脱落していたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。同2(三)のうち、被告乙山が本件事故直後に負傷している原告及び藤枝らを放置してタクシーで帰宅したことは認めるが、その余の事実は否認する。同2(四)のうち、郡司が原告主張の供述をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3のうち佐藤千之助及び樋口健治が原告主張の鑑定をしたこと、樋口健治作成の鑑定書が昭和五一年四月一三日の第八回公判期日において取り調べられたこと、その当時甲斐中辰夫が公判立会検事であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

4 同4は争う。

5 同6(二)の事実は否認する。

(被告乙山)

1 請求原因1(一)のうち、本件車両に原告及び被告乙山が乗車していたことは認め、その余の事実は知らない。

2 同1(二)のうち、別紙公訴事実の内容は知らないが、その余の事実は認める。

3 同2(一)の事実は知らない。同2(二)のうち、原告と被告乙山の受傷の部位は認める。同2(三)のうち、被告乙山が事故直後現場を立ち去ったことは認める。同2のその余の事実は否認し、主張は争う。

4 同3の事実は知らない。

5 同5(一)のうち、原告が頭頂部挫創の傷害を負ったことは認めるが、その余の事実は否認する。同5(二)のうち、被告乙山が捜査段階においても公判廷においても原告が本件車両を運転していたと述べたことは認めるが、その余の事実は否認する。

6 同6の事実は知らない。

三  被告国の主張

本件刑事裁判における最大の争点は、本件事故当時、本件車両を運転していたのが原告であるか被告乙山であるかという点であった。そして、被告国は、本訴においても、まず本件事故当時、本件車両を運転していたのは原告であること、しからずとするも、本件捜査、公判を通じて収集された関係各証拠から認められる事実関係からすれば、本件は本件公訴提起時においても、また、公訴追行の段階においても最後まで有罪判決を得る見込みは存したこと、仮に、被告乙山が事故当時、本件車両を運転していたとしても、原告には被告乙山の酒酔い運転の罪の幇助罪及び重過失致死傷罪の成立が十分に肯定され、右は本件訴因と公訴事実の同一性の範囲内にあるので、本件公訴提起に当たった検察官及びその後本件公判審理を担当した検察官のいずれにも過失は存しなかったことを主張するものである。

1  本件車両の運転者が原告であったこと

以下に掲記する(一)ないし(四)の事実に鑑みると、本件事故当時本件車両を運転していたのは原告であることが明らかである。

(一) 原告は、本件事故によりその左側頭部から頭頂部に走る長さ約六・三センチメートルの頭頂部挫創の傷害を負っており、本件事故の結果、本件車両のルームミラーはアームとともに取付部からはずれ、これを取付部分に合致させると車両の進行方向に向けルームミラーの右端を前方に押した状態になっていたので、原告の受傷は、右ルームミラー又はその取付部と頭部との接触によるものと認められ、また、本件車両内の血痕の付着状況をみると、フロントガラス内側には、運転席、助手席の中間部分(ルームミラー取付部分)を中心におよそ漢字の八の字型に小さな飛沫状血痕が多数付着し、助手席シート上には右前方に二個の血痕が存するのみであるのに対し、運転席シート上には助手席側寄りに多量の血痕が付着しており、その他同車内の運転席側各所に血痕の付着が認められるところ、以上の原告の受傷の部位及び内容からみれば、本件車両の前記衝突時に原告が運転席にいて、その左前方に存するルームミラー又はその取付部に同人の頭部が接触した結果、ルームミラーの右端を前方に押し出し、原告が右受傷をしたと考えるのが最も自然かつ合理的と判断されるのであるし、またそれゆえに血痕が運転席を中心として多量にかつ広範囲に存することを無理なく説明し得るのである。

(二) 被告乙山の受傷と本件車両内の状況との関係

本件事故による原告の傷は前記頭部に存する挫傷のみであるのに対し、被告乙山は、本件事故により、全治約一週間程度の腹部、右膝、鼻部の各打撲傷を受けており、他方、本件車両には本件事故の結果、助手席側端から運転席方向に四六センチメートルの位置にある計器盤下の物置棚には深さ一・六センチメートル、幅一五センチメートルの凹損が生じていることを総合すれば、被告乙山が助手席にいたからこそ同人の右膝部が前記アンダートレイの凹損部分に当たって同人が右膝打撲の傷を負い、同時に同人の右膝が当たった箇所に凹損が生じたと考えるのが自然かつ合理的である。また、原告の血液型はA型であり、被告煙山の血液型はO型であるところ、本件車両の運転席シート上に付着している血痕はA型で、被告乙山のズボンの右外側と左内側にA型とO型の血痕が付着しているので、少なくとも被告乙山の右側に原告が位置していたことを示すものというべく、本件事故時、被告乙山が助手席におり、原告が運転席にいたことを示す有力な証拠といえる。

(三) 原告の捜査段階における供述の信憑性

原告は、本件事故直後、現場において実況見分に立ち会い、極めて具体的な指示説明を行っているのをはじめ、捜査段階においては、終始一貫して事故直後に気づいた時は運転席にいたこと、すなわち故意に入れ替ったことがないので原告が事故時にも運転していたことを自認する旨の供述をしており、裁判官に対する勾留質問の際にも、また弁護人の接見を経た後においても同様自認していたもので、もちろん捜査官において強制ないし誘導によりかかる供述を得たものでもなく、またその供述は十分に信用性があるものと認められるのである。これによっても原告が本件事故当時本件車両の運転席にいたことが認められる。

(四) 被告乙山の供述の信用性

被告乙山は、捜査及び公判の各段階における再三の供述ないし証言において、具体的かつ終始一貫した供述を繰り返しているのであって、原告の面前における毅然とした証言態度、証言内容から判断しても体験した者でなければ供述し得ない高度の信憑性を有するものというべきである。

(五) 以上のとおり、本件事故発生当時、原告が本件車両を運転していたことは明らかであって、したがって検察官において犯人でないものを起訴しかつ公訴を追行したものでないから、検察官の本件公訴の提起、追行には何ら違法は存しない。

2  本件公訴の提起、追行の各段階において有罪判決を得る見込は十分存していたこと

(一) 本件公訴提起について

(1) そもそも捜査をいかなる方法によりいかなる範囲まで行うかは、当該捜査官の合理的範囲における目的裁量に委ねられており、また、捜査によって収集した証拠の価値をいかに評価するかも捜査官の自由な心証に委ねられている。捜査においては、人的、物的な制約のほか地域的な制約も存し、逮捕、勾留等の強制処分については厳格な時間的な制約も存する。検察官はそのような前提の下において、証拠資料等により犯罪の嫌疑が濃厚であり、有罪判決が得られる可能性が合理的に認められるときは、起訴を決定するのである。そのような場合、たとえ後日当該事件に対し無罪判決が下されたとしてもこれによって直ちに検察官の公訴提起が違法となるものではない。

また、検察官と裁判官の判断に相違が生じたことについての理由を各判断に供された資料の点から考えると、起訴時ないし公訴追行時における検察官の判断資料と公判終結時における裁判官のそれは必ず一致するとは限らないし、証拠の評価ないしこれに基づく事実の認定過程は複雑困難であり、しかも、これについての客観的画一的基準が存在しない以上、事実判断の基礎である証拠が両者共通であったとしても判断者によってはその判断が異なることもあり、その両者の判断に差異の生じ得ることは、現実の問題として否定できないのである。その場合、それらの判断が漫然となされたものではなく、それぞれの判断者の識見と信念に基づいてなされたものであると認められる以上は、相対立する判断の一方に違法又は過失があるとすることはできないものである。

したがって、検察官の起訴の決定ないし公訴追行の決定が、その事件につき起訴、不起訴等を決定すべき時における犯罪の成否に関する諸証拠、諸事情を基として、前述の判断者の個人差を考慮したうえ有罪判決が得られる可能性が合理的に認められる状況のもとでなされたものであれば、それは当然に適法であり、かつ、過失がないものとされなければならない。

(2) しかるところ、本件においては、本件車両のもう一人の乗員である被告乙山についても十分捜査したが、同人は自己が運転していたことを終始一貫して否定し(これは公判においても同様である。)、また、同人の本件事故による負傷及び同人の着衣の血痕付着状況等の客観的状況からみても、同人が運転していたと認めるに足るだけの証拠は存せず、かえって被告国の主張1に述べたように、原告には、その負傷の部位、本件車両内の血痕の付着状況、供述内容等に照らし、原告が運転をしていたことを認めるに足る十分な証拠が存した。また、法医学に関する斯界の権威であり、長年監察医等の地位にあった秦資宣医師から、原告を約一時間にわたって診察し、その際原告の受傷状況等から、原告が運転していたものにほぼ間違いないものと認められるとの判断を得ていたので、しいて原告が主張するような動体力学等の専門家による鑑定を求めるまでもなく、原告が運転していたと十分に認められたのである。したがって、検察官井上が原告主張のような鑑定を経ることなく本件公訴の提起をなしたことには何らの違法性はなく、また、同検察官に過失が存しないことは明らかである。

(二) 本件公訴追行について

公判段階において取り調べられた樋口鑑定等の結果は、なるほど原告主張のとおりであるが、これら鑑定の結果については、本件事故当時の現場における実況見分の際の原告の指示説明を措信しえないものとしながら、結果として原告の指示説明と同一の事故態様を前提として鑑定をし、またなによりも車両同士の衝突は、不完全な弾性体の衝突であって、それ自体種々な要素が介入してくるのは当然で、単純にその衝突態様を解明することは困難であるのみならず、衝突により影響を受ける乗員は、ほかならぬ生きた人間で様様な姿勢で乗車しているにもかかわらず、工学的に解明された車両の衝突態様から、直ちに乗員への具体的影響を結論づけているなど、到底首肯しえない内容のものであって、これによって原告が本件車両を運転していたものではないことが明らかとなり、右事実関係が争いえないものとなったとはいえないのみならず、公判で取調べを受けた郡司範雄は、飲食店「はぐれや」からの帰途本件車両を運転していた者は被告乙山であるとの捜査段階における供述を実質的に翻し、かえって原告が運転したことを裏付ける供述をし、また、右鑑定の後における事故直後の現場の目撃者である鈴木鐸士及び鈴木寿子の供述中にも、原告が運転していたことを裏付けるに足る部分が存することなどからすれば右各鑑定の結果から直ちに公訴の取消等の手続をなすべきであったとは到底いえないのである。このことは右各鑑定の後においても、裁判所はなお実質審理を継続し、なかんずく、職権で原告及び被告乙山を尋問し事実を究明していることに照らしても明らかである。そうすると、検察官甲斐中の本件公訴追行に何らの違法はなく、また、同検察官に過失が存しないことは明らかである。

3  本件公訴の提起、追行についてその他の適法事由があったこと

公訴事実の同一性の範囲内において、どのように事実関係を整理し訴因を構成すべきかは、本来、公訴の提起、追行の権限と職責を有する検察官の専権に属する事柄である。検察官として、公判審理、ことに証拠調べの進展に伴い、公訴事実の同一性の範囲内で別の訴因構成による有罪の見込みはあるが当初の訴因そのままでは有罪が見込めないと考えれば、訴因変更の手続をとることになるのである。法が訴因変更の手続規定を置いていることからすれば、訴因変更が許容される範囲内(公訴事実の同一性の範囲)でなされた変更前の公訴提起時の訴因について客観的に有罪判決が得られないとしても、当該訴因による公訴提起及び公訴提起後訴因変更前の公訴追行を違法として国が損害賠償義務を負担するいわれはないというべきである。この理は、右のように訴因変更が行われた場合のみならず、検察官が訴因変更の手続をとらず、当初訴因のままで無罪判決を受けた場合にも、もし訴因変更手続をとっていれば変更後の訴因につき有罪判決が得られることが客観的に認められる以上同様と考えるべきである。けだし、訴因を変更するか否かは、被告人を有罪とするには当該訴因変更の必要があるか否かという専ら刑事訴訟手続上の観点から決められるべき問題であって、損害賠償に関しては、検察官が訴因を変更し変更後の訴因につき有罪判決を得た場合には公訴の提起、追行が適法と評価され、これに反し、検察官がたまたまこの手続をとらずに当初訴因のままで無罪判決を受けた場合には公訴の提起、追行が違法性を帯びる道理はないからである(後者の場合には結果として検察官の不手際で被告人が「助かった」というに過ぎないのである。)。

本件についてみると、仮に、原告が運転をしていたのではなく、被告乙山が運転をしていたものであったとしても、原告は、本件事故の直前、事故地点にほど近い日立市内の飲食店「はぐれや」で、被告乙山が、飲酒後本件車両を運転して帰宅することを知悉していながら、飲酒ないし飲酒後の運転を見合わせるべく注意することもなく、却って隣り合わせで差しつ差されつ飲酒していたのであるから、原告の行為は、酒気帯び運転(道路交通法六五条一項、一一九条一項第七の二)又は酒酔い運転(同法六五条一項、同法一一七条の二第一項)の罪の従犯を構成することは明らかである。また、被告乙山の飲酒量は、少なくとも清酒四合以上と認められ、車の交通量がかなり存する時刻であることなどを考慮すると、同被告が本件車両を運転することは、人身事故発生の蓋然性が不可避に近いほどに高度なものであることを予知し得る状況下にあったものといえ、しかも、原告は、被告乙山の運転行為を阻止し得る立場にありながら、同人から勧められるままに本件車両助手席に同乗し、本件車両の運転をなすことを放任したものといえるのであるから、原告に対し、重過失致死傷罪の刑責をも問うことができる。本件事故前原告が被告乙山と多量に飲酒したことは、原告が捜査段階から一貫して認めていたところであり、また、被告乙山が飲酒後本件車両を運転して帰宅することも原告が予期していたのであるから、酒酔い運転罪(正犯)及び業務上過失致死傷罪の訴因に対し酒酔い運転幇助罪及び重過失致死傷罪の事実が認定されたからといって、原告に格別の不利益を与えるものではなかったはずである。このような事案において、検察官のなすべき措置としては、酒酔い運転罪(正犯)から酒酔い運転幇助罪に、業務上過失致死傷罪から重過失致死傷罪に、それぞれ公訴事実の同一性の範囲内で訴因の変更手続をとるべきであったのであり、原告が主張するように決して無罪の論告をすべきものではなかったのである。しかして、かかる手続をとらなかったからといって本件公訴追行が違法となるものではないことは右に述べたところである。そうだとすれば、本件は検察官の訴因変更の手続を経なかったとしても(その当否は別として)、原告につき酒酔い運転幇助罪及び重過失致死傷罪の認定が可能な場合といい得るから、いずれにしても本件公訴の提起、追行は適法であったというべきである。

4  損害論

(一) 鑑定費用について

刑事訴訟の公判段階において鑑定の必要が生じた場合には、裁判所が指定した鑑定人に鑑定をなさしめることができ(刑事訴訟法一六五条)、しかも鑑定費用は公費をもってまかなわれるものであるから、公判段階において被告人が自ら第三者に鑑定を依頼し、そのための報酬を当該鑑定受託者に自費をもって支払ったとしても、直ちに右報酬相当額を損害賠償として請求することはできないものというべきである。

(二) 逸失利益について

原告は、自己都合を理由とする任意退職の形で丙川産業株式会社を退社したものである。同会社の就業規則等には、当時、いわゆる起訴休職ないし起訴退社の定めはなく、また、同会社が原告に強いて退社を求めた形跡も窺えない。したがって、原告の丙川産業退社の理由は、本件公訴の提起、追行と相当因果関係を有するものとは認められない。

(三) 過失相殺

原告は、本件事故前、被告乙山と本件事故現場近くの飲食店において、飲酒後被告乙山が本件車両に乗車して帰途につくことを知悉しておりながら、共に多量に飲酒し、その後、仮に原告が本件車両を運転していたものでないとすれば、自らすすんでもしくは被告乙山から誘われるままに同乗し本件事故に至ったもので原告は自らハンドルを握っていなかったとはいうものの、被告乙山の運転を阻止して本件事故の発生を防止すべき立場にあったのに、却って同人の運転を容認していたもので、社会的には被告乙山と同様の非難を受けてしかるべきものである。加えて、原告は本件公判に至って否認に転じたものの、本件事故直後から、自己が本件車両を運転していたことを卒直に認めていたものであり、これが検察官の心証の一資料となり、本件公訴提起等をなさしめる要因をなしたものというべきであって、かかる事案においては、原告に本件公訴提起等による精神的苦痛があったとしても原告自らにも基因するものであるから、被告らに慰藉料の支払を求めることは相当でないというべきであり、しからずとするも、右事情は慰藉料額の算定にあたり十分斟酌されるべきであるから、相当割合の過失相殺がなされるべきである。

四  被告乙山の主張

被告国の主張1と同旨

五  被告らの主張に対する認否及び反論

1  被告国の主張三の冒頭部分の主張は争う。

2  同1の冒頭部分の主張は争う。

3  同1(一)のうち、原告が本件事故により被告主張のような傷害を負ったこと、本件車両のルームミラーが脱落していたこと及び被告主張の同車内の血痕の付着状況は認めるが、その余の事実は否認する。

被告らは、本件車両運転席の左前方にあるルームミラーによって頭頂部に左前から右後方にかけて挫創の傷害を負うためには、事故当時、原告が運転席にいたのでなければ説明がつかないとするもののようであるが、これには一つの前提、すなわち、本件事故時、原告はまっすぐ前を向いていたことが明らかでなければならないところ、この事実は、必ずしも明白とはいえず、また、原告が運転席でなく、助手席にいたとしても、原告は運転開始前に飲んだ酒の酔いのため眠っていたと考えられるから、身体を横にして右向きの姿勢で座っていたことが十分に有り得ることであって、この姿勢のままルームミラーに衝突すれば、やはり左前から右後方にかけて頭頂部に傷を生ずることになるので、被告らの右主張は根拠がない。

4  同1(二)のうち、被告乙山が本件事故により被告主張のような負傷をしたこと、本件車両内にその主張のような凹損部分があること、被告乙山のズボンに血痕が付着していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

5  同1(三)のうち、原告が本件事故直後の実況見分に立会い、その際指示説明をしたこと、事故後、捜査官に対して「意識を回復した時に運転席に座っていた」旨供述したことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  同1(四)、(五)の主張は争う。

7  同2(一)、(二)の主張は争う。

8  同3の主張は争う。検察官には訴因変更の権限があるのであるから、当初の訴因が不適切であると判断した場合には、訴因変更手続をなすべきものである。しかるに本件では検察官は訴因変更手続をとっていないのであるから、当初の訴因を公判において維持すべきものと判断したものであり、したがって、当該訴因につき無罪判決が下された後になって訴因変更をしておけば有罪だったはずだなどというのは妥当でない。しかも、本件事故に至る経過を見れば、主導的役割を果たしたのは飲酒の面でも被告乙山なのであって、原告はやむなく応じたにすぎないから、原告に対して酒酔い運転幇助罪の刑事責任を追及することはできないし、重過失致死傷罪の責任を問うこともできない。

9  同4(一)、(二)の主張は争う。同4(三)の事実は否認する。

10  被告乙山の主張に対する認否は被告国の主張1に対する認否と同じ。

第三証拠《省略》

理由

第一被告国に対する請求について

一  原告及び被告乙山の乗車した本件車両が、昭和四八年一〇月二一日午後九時四〇分ころ、茨城県日立市千石町三丁目四番六号先の本件交差点に同市多賀町方面から大沼町方面に向け毎時約四〇キロメートルの速度で進入した際、折から右方道路から同交差点に進入してきた被害車両と衝突し、被害車両の乗員四名及び被告乙山が死傷するという本件事故が発生したこと、検察官井上は本件事故につき、同年一一月一〇日、本件車両を運転して本件事故を惹起したのは原告であるとして水戸地方裁判所に本件公訴提起をしたこと、同裁判所は、同月二八日の第一回公判期日以降二一回にわたって公判期日を開き請求原因1(三)に記載のとおりの審理をした後、昭和五五年五月一七日の第二二回公判期日において原告に対し無罪判決を言い渡し、同判決は控訴の提起なく同年六月一日確定したことは原告と被告国との間で争いがない(以下、理由第一においては単に「当事者間に争いがない。」という。)。

二  そこで、検察官による本件公訴の提起、追行が違法であるか否かについて判断するに、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならず、公訴提起時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、公訴提起時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であるから、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起、追行が違法となるということはないというべきであり(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日判決民集三二巻七号一三六七頁参照)、右のような嫌疑がないのに検察官が公訴の提起、追行をしたときに右行為は違法性を帯びるに至るものと解するのが相当である。

三  本件公訴提起の違法性の有無

まず、検察官井上による本件公訴提起が違法であるか否かについて検討する。

1  本件事故にかかる業務上過失致死傷罪等被疑事件の捜査の経過についてみると、原告は、本件事故当日である昭和四八年一〇月二一日午後一〇時一五分ころ、本件事故による負傷者として収容されていた先の井上病院において、本件事故にかかる業務上過失致死傷罪の被疑者として緊急逮捕され、同月二二日、日立簡易裁判所裁判官から緊急逮捕状が発せられたこと、原告は右事件につき同月二三日水戸地方検察庁日立支部検察官に送致されて、同日、勾留され、同年一一月一〇日、本件公訴を提起されるに至ったことは当事者間に争いがない。

2  本件事故当時、本件車両には原告と被告乙山の二人しか乗車しておらず、しかも、このうち一方が運転席に、他方が助手席にそれぞれ座っていたことは当事者間に争いがない。

そこで、捜査の結果、検察官井上において原告を起訴するか否かにつき最終的な決定をするに際して斟酌しえた主な事実はどのようなものであったかについてみると、《証拠省略》によれば、以下の(一)ないし(六)の事実が判明していたと認めることができ、右認定を左右するのに足りる証拠はない。

(一) 本件事故に至る経緯

被告乙山は、本件事故当日である昭和四八年一〇月二一日(日曜日)午前一一時ころ、勤務先から借用して使用していた本件車両を運転して日立市《番地省略》乙田団地の自宅を出て、同市《番地省略》の原告宅へ赴いた。被告乙山と原告とは、両名の共通の友人である郡司範雄の紹介で約三カ月前に知り合った仲であった。被告乙山は、原告を右車両の助手席に乗せて、同市金沢町所在の江橋某宅に赴き、同人宅でほか一名を交えて、午後六時ころまで麻雀をした。その後、被告乙山と原告は、郡司を誘って、三人で酒を飲むことにし、右車両を運転して、同市河原子町二丁目一二番五号所在、株式会社朝日屋石油店経営のガソリンスタンドに赴き、同店の従業員宿舎で被告乙山、原告、郡司ほか二名と共に、午後七時ころまでの間、清酒約六合位を飲み、そのうち被告乙山と原告は、それぞれ清酒約一合あてを飲んだ。その後、被告乙山は、本件車両の助手席に原告を乗せ、郡司は、自己所有の軽自動車コロナライトバンをそれぞれ運転して同日午後八時ころ、同市鮎川町一丁目一番所在「日立市婦人の家」(以下「婦人の家」という。)の前の広場にそれぞれ自動車を駐車させ、同所から約一〇〇メートル離れた同町一丁目一番一八号所在の飲食店「はぐれや」に赴いた。なお、前記駐車の状況は、被告乙山が駐車した本件車両の左側に約二メートルの距離をおいて同じ方向に向けて郡司の車を駐車させた。その際、原告は、帰宅する際には、郡司の車に乗せてもらおうと考えて、本件車両に乗せていた自己の洋傘を郡司の車に移した。三人は、「はぐれや」において、同日午後八時ころから午後九時三〇分ころまでの間、清酒合計一升五合位を注文し、そのうち各人約四合位ずつを飲み、その代金四二三〇円は、麻雀で勝った被告乙山が全額その場で支払った。三名のうち被告乙山が最も酩酊していた。その後、右三名は、さらに被告乙山の前記自宅で飲み直すことになり、同店を出て、「婦人の家」前の広場に行き、被告乙山は、本件車両に、原告は、郡司の車の助手席に乗った。そして、酔いをさますため、しばらく右自動車内で休憩しているうち、被告乙山が「俺一人では淋しい。」などと言って、原告を本件車両に乗るように促し、これに応じた原告は、郡司の車から出て、本件車両に乗り移り、しばらくしたのち、二台の自動車は、被告乙山宅へ向かって発車した。

(二) 本件事故の態様

かくして、原告と被告乙山が乗った本件車両は、「婦人の家」前を出発し、同市内の通称あんず並木通りに出て、これを約一・二キロメートルほど直進し、その間、信号機のある交差点を三カ所通過して、本件交差点に差しかかった。本件車両は、本件交差点の対面信号機が赤点滅を表示していたにもかかわらず同交差点に多賀町方面から大沼町方面に向け毎時約四〇キロメートルの速度で進入した。その結果、本件交差点中心辺りで折から右方道路から毎時約四〇ないし五〇キロメートルの速度で進入してきた被害車両の後部左側ドア付近にその前部を激突させ(以下「第一次衝突」という。)、その衝撃により約一〇・五メートル先の同交差点南東角にある歩道ステップに乗り上げ、さらに、その前方にあるコンクリート柱(以下「本件コンクリート柱」という。)にその前部を激突させ(以下「第二次衝突」という。)、その反動で同柱から南西方向へ約四メートル後退し、車体の後ろ半分を車道に、前半分を歩道ステップに乗り上げた形で停止した。

(三) 本件事故により生じた本件車両内部の損傷状況

(1) 本件車両は、運転席シートと助手席シートの中間にチェンジレバーとサイドブレーキがあってシートは区分され、運転席と助手席の中間上部天井にルームミラーが取り付けられている構造であったが、本件事故によって、同ルームミラーは取付部から脱落してダッシュボード上に落下しており(同ルームミラーが脱落していたことは当事者間に争いがない。)、これを取付部にはめこんで復元してみるとそのミラー部分の右端が何らかの力によって前方に押された状態になっていたため、運転席から後部窓を通して後方を見通すことはできず、右側後部ドアの窓を見通すことができるにすぎない状態であった。なお、ルームミラー及びその取付部には血痕や毛髪は付着していなかった。

(2) 厚さ約五ミリメートルの合成樹脂でできているアンダートレイの下部が助手席側左端から右方に四六センチメートルの部分(本件車両のほぼ中央部)を中心にして長さ一五センチメートル、深さ一・六センチメートルにわたり上方に向かって凹損していた。なお、右凹損部分に血痕は付着していなかった。

(3) 運転席右側ドア内側のアームレストは、前後二個のネジによってドアに取り付けられていたが、そのうち進行方向に向かって前方のネジがとれて後方のネジ部分から真下にぶら下がっており、アームレストの下側部分になすりつけたような血痕が付着していた。

(四) 本件事故による原告及び被告乙山の負傷状況等

(1) 原告は、左額生え際の奥四センチメートルのところから頭頂部に向けて長さ約六・三センチメートルのかなりの出血を伴う頭頂部挫創の傷害を負い、三針縫合する治療を受けたが(原告が頭頂部挫創の傷害を負ったことは当事者間に争いがない。)、この他に受傷していない。なお、原告の血液型はA型である。

(2) 被告乙山は、全治約一週間の腹部打撲、皮下出血を伴う右膝打撲、鼻部打撲の傷害を負い、この鼻部打撲は鼻血を伴っていた(被告乙山が腹部、右膝、鼻部の各打撲傷を負ったことは当事者間に争いがない。)。なお、同被告の血液型はO型である。

(3) 本件事故当時被告乙山が着用していたジャンバーには血痕の付着は認められなかったが、その下のハイネックシャツの胸の辺りに滴下した形の血痕が約二〇個付着していた。ズボンには右外側に三カ所、右前面中央部に二カ所、左内側に二カ所そして左前面上方に一カ所の小さな血痕が付着しており、このうち右外側の血痕の一つはA型であり、左前面上方の血痕はO型であったが、そのほかの血痕は少量のため血液型は判明しなかった。

(五) 本件車両内部の血痕の付着状況

(1) 本件車両のフロントガラス内側には、縦約三ミリメートル、横約一・五ミリメートルの飛沫状の血痕がルームミラー取付部を中心にして左右の下端に至るまでおよそ「八」の形に多数付着しており、その数は運転席側に一二個、助手席側に一六個であり、運転席側に飛散した血痕の角度はそのほとんどがインスツルメントパネルに対し約九〇ないし一〇〇度、助手席側のものの角度は五〇ないし六〇度であった。

(2) 運転席シート上には、助手席側寄りに多量の流出したA型の血液が付着し、同シート右前方にも二個の血痕が付着しているが、中央の尻の当たる部分には血痕の付着は認められなかった。

(3) 助手席シート上には、右側前方に流出して付着したと認められる二個の血痕が存するのみであった。

(4) 運転席側の計器盤上部、助手席側グローブボックス上部及び運転席側の空気取入口下方には直径約〇・五ミリメートルないし一ミリメートルの飛沫状血痕が多量に付着し、シガレットノブの右側部分、ハンドル上部及びホーリング上にも多量の血痕が付着していた。

(5) その他、変速レバーの握り部分やその下方、サイドブレーキの握り部分、運転席右側ドアの窓ガラス開閉器及びその下側、同ドア開閉器にはこすりつけた跡のような血痕が付着し、ぶら下がったアームレストの左下方にはたれて付着したと認められる血痕が約一一個付着していた。

(六) 本件事故後の原告及び被告乙山の行動、供述等

(1) 原告は、本件事故直後、本件車両の運転席に座っていたが、いったん運転席側ドアから車外に出て再び運転席に戻った。その後、先の負傷のため井上病院に搬送され、同病院で頭頂部の傷の手当を受け、昭和四八年一〇月二一日午後一〇時一五分ころ同病院で本件事故にかかる業務上過失致死傷罪等の被疑者として緊急逮捕された。同日午後一〇時三五分の時点において、原告の目は充血し、顔は青ざめて手はふるえ、直立すると体が左右に揺れて歩くのにふらつくほど酔っており、その呼気一リットル中には〇・五ミリグラムのアルコールが含まれていた。原告は、その際、警察官に対して自ら運転して本件事故を起こしたことを認めており、続いて被害車両に乗っていた子供の死を知らされるとむせび泣き始め、同日午後一〇時五〇分から実施された実況見分の際にもこれに立ち会って、別紙交通事故現場見取図記載のとおり「多賀町方面から大沼町方面に向け道路左側端より約三・四メートルの地点を進行し、①の地点にきたとき軽くブレーキを踏み速度を落とした。②の地点でギアをセカンドに入れ替え、③の地点でギアをサードに入れ約四〇キロメートルに増速した。そのままの速度で④の地点に進み、右方のの地点にライトの光を発見したがそのままの速度で交差点を進行したところの地点でドカーンと音がしたので衝突したと思いましたが急ブレーキをかけるひまもなく角の建物に衝突し、で停止した。」と極めて具体的に指示説明をした。その後も同月二二日付の司法警察員に対する供述調書、司法警察員(同月二二日付)及び検察官(同日付)に対する各弁解録取書並びに同月二三日付の勾留質問調書においてもいずれも被疑事実を全面的に認めていた。ところが、同月二六日の司法警察員黒澤守の取調べにおいて初めて従前の供述を一部変更し、「婦人の家」前の広場でいったん郡司の車の助手席に乗ったが被告乙山に呼ばれて本件車両の助手席に移り、その後本件事故で気がつくまでの間全く記憶はなく、気付いた時には本件車両の運転席に座っていた旨及び前回自分が運転していたと述べたのは事故後運転席にいたのでそう思ったからにすぎず、現場での指示説明も普段自分で運転しているときの状態を想定して述べたものである旨供述するようになり、その後はほぼ同旨の供述をしている(原告が緊急逮捕され、当初自己が運転していたことを認めていたこと、その後、本件車両の助手席に移ったがそれ以降本件事故まで記憶がない旨供述を変更したことは当事者間に争いがない。)。ただ、右のとおり記憶がないといいながら、自分が運転していたことを否定する趣旨の供述はせず、本件公訴提起の前日である同年一一月九日、検察官井上に対し「この事故は私が酔っ払って運転中に起こしてしまった事故であることは認めます。被害者の方には出来るだけの事をしてお詫びするつもりです。」と供述した。

(2) これに対して、被告乙山は、本件事故直後、本件車両から抜け出し、原告には何も告げず、怪我をしている原告や被害車両の乗員を助けることもなく本件車両を放置したまま事故現場を離れ、タクシーに乗って帰宅した(以上の事実は当事者間に争いがない。)。そして、酩酊していた被告乙山は階段を這い上がり二階の自室で就寝したが、すぐそこで嘔吐した。事故時に着用していた胸の辺りに血痕の付着したシャツは同被告の妻が翌朝洗濯して血を洗い落とした。

被告乙山は、捜査官に対し、一貫して本件事故直後、気付いた時は自分は助手席に座っており、運転席には原告が座っていて頭から血を流しながら自分の方を向いて「大丈夫か」と二度ほど声をかけた旨、したがって、本件車両を運転していたのは自分ではなく原告である旨供述した。ただ、その前の「はぐれや」を出て本件車両に乗車するころから本件事故に至るまでの行動については、当初、全く記憶がない旨供述していたが、同年一一月六日の検察官井上の取調べでは、「婦人の家」前の広場で原告が運転していくといって運転席に乗り、自分は助手席に乗ったことを思い出した旨供述を一部変更した。

3  検察官井上が右2で認定した事実を前提として、これらを評価、検討した結果、本件事故当時本件車両を運転していたのが原告であるとして本件公訴を提起したことに合理性があったか否かについて検討する。

(一) 右2で認定した本件公訴提起時までに判明していた事実のうち、原告が本件車両を運転していたことを推認させるものとしては以下の(1)ないし(6)が挙げられ、これをもって原告を運転者と判断したことには合理性が認められる。

(1) まず、前記認定のルームミラーの位置及びその脱落状況、フロントガラス等への血痕の飛散状況並びに原告及び被告乙山の負傷の部位、程度を総合すると、原告の頭頂部挫創は原告の頭部が本件事故の衝撃によってルームミラーに衝突することによって生じたものと認められるところ、原告の前記創傷の方向は左額の生え際の奥四センチメートルの所から右後方に向かって切れているのであるから、本件事故当時、原告が運転席にいて運転のため前方を向いていた際に左前方のルームミラーと原告の頭部が衝突したため頭頂部の傷が生じたと考える方が、原告が助手席にいて生じたと考えるよりもむしろ自然であること。

(2) 原告の血液型はA型であり、被告煙山のそれはO型であるところ、被告乙山のズボンには右外側に三カ所右前面中央に二カ所、左内側に二カ所そして左前面上方に一カ所の小さな血痕が付着しており、同被告の右側部分への付着が多く認められ、このうち右外側のものの一つがA型であるから、この事実と原告及び被告乙山の負傷の部位、程度を合わせ考慮すると原告は被告乙山の右側に座っていたと考えるのが自然であること。

(3) 本件車両のアンダートレイ中央下部(チェンジレバー上部付近)には本件事故の結果幅一五センチメートル、深さ一・六センチメートルの凹損が生じており、その材質に鑑みるとかなりの衝撃が加わった結果できたものと考えられるところ、これに対応しうる乗員の負傷としては、被告乙山の皮下出血を伴う右膝打撲しか想定しえないから、被告乙山が助手席にいてその右膝がアンダートレイに激突したと考えられること。

(4) 《証拠省略》によれば、原告は、本件事故直後、頭から血を流した状態で運転席に座っており、その後いったん運転席側ドアから車外に出て再び運転席に戻ったことが認められ、この事実によれば本件事故当時も原告が運転席に座っていたと考えるのが自然であること、もっとも、本件事故当時、原告が助手席にいて、その直後助手席側ドアから出て、再び今度は運転席側ドアから車内に入って運転席に座っていた可能性も否定できないが、これが原告にとって有利な供述であるにもかかわらず原告は捜査段階においてかような弁解を一切しておらず、単に事故当時の記憶がない旨述べるにとどまっているので、原告には助手席側ドアから出た記憶はなかったものと考えるのが相当であり、右人為的な入れ替わりを裏付ける客観的証拠も乏しい(郡司の供述については後に検討する。)。また、本件事故の衝撃によって、運転席側の者と助手席側の者とがその席を入れ替わったならば格別であるが、本件車両の運転席や助手席上の広さやハンドル、チェンジレバー等の突起物の存在等を考慮すると原告と被告乙山とが本件事故の衝撃によってその席を入れ替わった可能性は極めて少ないと解されること。

(5) 原告は、本件事故後、捜査官等に対して本件車両を運転していたことを認める供述を繰り返して本件事故直前の運転状況を詳細に説明しており、本件事故後に収容された病院で被害車両の子供が死亡したことを聞かされるとむせび泣き始めたりもしていること。もっとも後に至って供述を一部変更したが、その供述内容や供述態度に鑑みるときは、変更前の供述の信用性は十分肯定しうると考えたことに合理性はあること。

(6) 被告乙山は捜査官に対して当初から本件車両を運転していたのは自分ではなく原告である旨明言し、その供述内容には一貫性があり、これを信用したことに合理性があること。

(二) これに対し、右2で認定した事実の中には、以上とは逆に、以下の(1)ないし(4)のように原告を運転者とみるには若干不自然さを感じさせるような事実も含まれているが、いずれも前記(一)の判断を左右するに足りない。

(1) 原告が捜査の途中から本件事故当時本件車両を運転していた記憶がないと供述するに至ったこと。しかしながら、原告がより積極的に自己が運転したことを否定する供述をしなかったことは前記のとおりであったから、記憶がないという前記供述を検察官井上が重視しなかったことに不合理性は認められない。

(2) 被告乙山は、本件事故直後、自分が会社から貸与されていた本件車両並びに受傷した原告や藤枝らを放置したまま現場を立ち去り、タクシーに乗って帰宅したほか、翌朝、同被告の妻が事故当時着用していて胸の辺りに血痕の付着したシャツを洗濯するという不審な挙動が見られたこと。しかしながら、同被告が事故当日相当量の酒を飲んで酩酊し、突発的な事故に遭遇したことを考えれば、右行動について同被告が十分な説明をなしえないとしても必ずしも異とするにはあたらないものと検察官井上が考えたことに不合理性はない。また、同被告が妻に血のついたシャツを積極的に洗わせたことを窺わせる証拠はない。

(3) 郡司範雄は、警察官に対して、原告は本件車両を運転していなかったはずで、被告乙山が運転していたとばかり思っていた旨供述していること。しかしながら、右供述は、原告が「婦人の家」前広場で本件車両の助手席に乗車したところを現認したというものではなく、被告乙山が本件車両の運転席にまず乗り、そのあとしばらくして原告が同被告に呼ばれて本件車両に移ったから原告は助手席に乗ったと思うというにすぎないこと、また、本件事故当日、郡司は原告及び被告乙山とほぼ同量の酒を飲んで酩酊しており、しかも、同広場を出たあとどの道を通って帰宅したか記憶が定かでないというのであるから、原告が同広場で本件車両に移った際、運転席側、助手席側のいずれから乗ったかという点に関する供述部分の信用性は必ずしも高いものではないと考えたことに不合理性は認められない。

(4) 《証拠省略》によれば、走行中の自動車が他の物体と正面衝突した場合の乗員の通常の負傷部位は、運転席にいた者が顔面、前胸部、手、膝等を負傷することが多く、助手席にいた者は頭、顔面、下腿等を負傷することが多いことが認められるところ、本件では原告が頭頂部に、被告乙山が鼻、腹部、右膝にそれぞれ傷を負っており、したがって、原告の受傷部位は助手席にいた場合の、被告乙山の受傷部位は運転席にいた場合の傷と一応符合すること。しかしながら、本件事故は正面衝突ではなく、本件車両前部と被害車両左後部ドア付近とがほぼ直角に衝突した事案で、いわゆる偏心衝突といわれる事故態様であること、また、飲酒酩酊して助手席に座っていた者の姿勢は必ずしも一様とはいえないから、その者がルームミラーに衝突することなく鼻部、腹部及び右膝部を打撲することは十分可能であって、何よりもそう考えることによってアンダートレイの凹損の成因を合理的に説明しうることを考え合わせると、原告と被告乙山の各受傷部位と同被告が助手席、原告が運転席にいた場合に正面衝突により一般的に受ける負傷部位とが符合しないことは必ずしも異とするに足りないと検察官が考えたことに不合理性は認められない。

(三) 以上検討したところによれば、被告乙山の行動等原告が本件車両を運転していたと考えるには不自然さを感じさせる事情を合わせて考慮しても、本件公訴提起時に判明していた前記2で認定した事実を前提として検察官井上が原告を運転者と認定し、有罪判決を得られる見込みが十分あるとして本件公訴を提起したことには十分合理性があり、証拠の評価や経験則の適用を誤って自由心証の範囲を逸脱したことは認められないから、右公訴提起には違法はないものと認められる。

(四) 原告は、捜査段階において動体力学の専門家による鑑定をなすべきであったのに検察官井上がこれを怠ったとして右鑑定の不実施を非難するが、被疑者の身柄拘束には法律上厳格な時間的制約が存するうえ、そもそも本件では前記三2で認定した事実関係があり、同3で判断したところによれば、原告を運転者とみるには若干、不自然さを感じさせる事実もありはするが、全体として判断すれば、原告に対する嫌疑に対し疑念を抱かせるほどのものとはいえない。加えて、警察の嘱託医であった秦資宣は、原告を診察したうえで、法医学的見地から、その頭部の傷の部位、程度、方向等を検討した結果、それがルームミラーと接触してできたのであるとするならば原告は運転席にいたものと思う旨警察官に対して供述していることを総合すると、捜査段階において、原告主張の鑑定をすることが公訴提起のために必須の要件であったものとは解されない。この意味で証拠の収集を怠ったと認めることはできない。

4  以上のとおりであるから、検察官井上による本件公訴提起は何ら違法ではなく、したがって、その余の点について判断するまでもなく、公訴提起の違法を前提とする原告の主張は理由がない。

四  本件公訴追行の違法性の有無

1  本件刑事裁判の審理の経過が請求原因1(三)記載のとおりであること、佐藤鑑定及び樋口鑑定がなされたこと、樋口鑑定が裁判所に証拠として提出された第八回公判期日における公判担当検察官が検察官甲斐中であったことは当事者間に争いがないところ、原告は、第八回公判期日において原告を被告人の地位から解放すべく、公訴の取消等の措置をとるべき義務が検察官甲斐中にあったと主張する。

2  そこで、まず佐藤鑑定及び樋口鑑定の内容を検討する。

《証拠省略》によれば、以下の(一)、(二)の事実が認められる。

(一) 佐藤鑑定は、本件車両と被害車両との衝突角度を約一〇〇度、本件車両と被害車両の速度をそれぞれ時速約四五キロメートルと約五〇キロメートルと想定し、第一次、第二次衝突の他にこの中間に高さ約一二センチメートルの歩道ステップとの衝突を重視し、動体力学的理論に基づいて解析した結果、本件車両の乗員は、第一次衝突により右前方四度の方向に約四・一Gの加速度で座席から飛び出す加速を受け、約二秒後の歩道ステップとの衝突により右前方七五度の方向に横倒しに飛ばされる作用を受け、そして約〇・五秒後の第二次衝突により右前方三五度の角度に加速を受けるものとし、これに正面衝突時の乗員の負傷部位に関する統計及び原告と被告乙山との負傷の部位、程度を合わせ検討した結果、原告は本件事故当時助手席にいて第一次衝突によりその頭部をルームミラーに衝突させて負傷した可能性が大であるとの結論に達している。

(二) 樋口鑑定は、本件車両は毎時約四〇キロメートル(三五ないし四五キロメートルの間)、被害車両は約五〇キロメートル(四五ないし五五キロメートルの間)の速度でそれぞれ進行し、本件車両と被害車両とはほぼ直角に(八〇度ないし一〇〇度の角度で)衝突したものと推測し、その結果、本件車両の乗員は第一次衝突により右前方約二〇ないし三〇度の方向に約五Gの加速度(体重の約五倍の衝撃)を受け、第二次衝突により左前方約五ないし一〇度の方向に約三・五Gの加速度を受けたものとし、歩道ステップ乗上げによる上下方向の衝撃は車体支持のスプリングの緩和作用によりせいぜい一G程度しかないので乗員の姿勢を変えるほどの影響は認められないとの判断のもとに、運転席及び助手席乗員が右衝撃によりいかなる負傷をする可能性があるかを考慮し、これと原告及び被告乙山の負傷部位と対比することによって、運転席にいる者が本件事故の結果頭頂部をルームミラーと激突させる可能性は極めて少なく、したがって、右事故当時運転席にいたのは被告乙山であり、原告は助手席に座っていて、第一次衝突により負傷したものと推測している。

3  しかしながら、右佐藤、樋口鑑定には次のとおりの疑問点が存するといわなければならない。すなわち、

(一) まず、佐藤鑑定についてみると、《証拠省略》によれば、第一次衝突による本件車両の乗員の受ける衝撃力の方向が右前方約四度というのは、同鑑定が本件車両を大きさのない質点と考え、本件車両と被害車両との接触部の食い込みによる本件車両の転回を考慮していないことによるものであるが、これは両車両の衝突による食い込み摩擦を過少評価したことに疑問がある。また、歩道ステップ乗上げ時の衝撃については本件車両の緩衝装置によってかなりの部分が吸収されると考えられるし、佐藤鑑定では第一次衝突直後の速度を毎時約三一・三キロメートル、歩道ステップ乗上げ時の速度を三〇・一キロメートルとしているが、この間、路上に約一〇・五メートルの長さのスリップ痕が残されており、これを運転者のブレーキ操作によるものとしているのであるから、右前提によれば減速の割合が少なすぎるといわざるをえず、本件車両前部の破損状況と本件コンクリート柱の損傷程度に鑑みても歩道ステップに乗り上げた際はさらに減速していたと解される(樋口鑑定によれば一〇キロメートル強とされている。)ので、結局本件車両乗員の受ける衝撃、姿勢変化等を判断するに際しては右歩道ステップ乗上げ時の衝撃は事実上これを無視してもさしつかえない程度のものと考えるのが相当である。

以上のように佐藤鑑定には第一次衝突における両車両接触部の摩擦係数の過少評価(同鑑定はこれを〇とする。)、第一次衝突から歩道ステップ乗上げまでの減速計算の不合理さがみられるので、本件事故に際して本件車両乗員の受ける衝撃力の程度、方向についての同鑑定の結論には疑問がある。

(二) 次に、樋口鑑定についてみると、第一次、第二次衝突によって本件車両乗員の受ける衝撃力の程度、方向についての推論過程自体については合理性が認められるが、原本の存在については争いがなく、その存在と成立については弁論の全趣旨によりこれを認めうる甲第六号証(井上剛作成の鑑定書、以下「井上鑑定」という。)によれば、本件車両内に広範囲に付着している飛沫状血痕は、原告の頭部挫創から飛散したものであり、その飛沫状血痕の量、範囲に鑑みるときは、原告の頭部に少なくとも二回以上鈍体が作用し、一回目には皮膚に裂け目は生じなかったものの、この衝撃により皮下及び皮下組織内に出血を来たし、血液が組織内に溜まった状態になり、そこに再び鈍体が作用したため皮膚の裂け目が生じ、周囲に向かって多数の飛沫状血液を放散するに至ったことが認められる。右井上鑑定は、医師による法医学的観点からの鑑定であり、その鑑定主文はともかく、結論を導く前提部分である傷の成因、血液の飛散に至る機序等については専門家としてその判断は十分信頼しうるものである。そうすると、本件事故において、原告の頭部に鈍体が二回作用する原因としては第一次、第二次衝突しか考えられず、既に認定したとおり原告の頭頂部挫創は原告の頭部とルームミラーとの衝突により生じ、その結果、フロントガラス等に血液が飛散したものであるから、ルームミラーとの衝突を二回目の鈍体作用として把えるほかないが、この点、樋口鑑定は(佐藤鑑定も)、フロントガラス等への血液の飛散は第一次衝突によるものと結論づけており、したがって、右に説示した理由でこの点に関する樋口鑑定は採用できないものである。

以上の事実を前提にして考察すると、本件車両の乗員は、第一次衝突により右前方約二〇ないし三〇度の方向に五Gの加速度を受け、第二次衝突により今度は左前方約五ないし一〇度の方向に三・五Gの加速度を受けることになり、この第二次衝突によって原告はルームミラーと激突して頭頂部挫創の傷害を負ったことになる。そうすると、樋口鑑定の推論とは逆に、原告が運転席にいて第一次衝突により本件車両運転席右前部の車体に頭部を衝突させ、第二次衝突によってルームミラーに衝突したと推論することも不合理なものということはできない。

(三) なお、《証拠省略》によれば、検察官高野利雄は、前記鑑定人樋口健治の期日外証人尋問調書が取り調べられた第九回公判期日の後、同月二一日付で井上剛に対し、法医学的観点から本件事故当時における原告と被告乙山の乗車位置等を鑑定するよう嘱託したところ、右井上はこれに応じて鑑定を実施し、昭和五二年二月二六日、鑑定書を完成させてそのころ担当検察官にこれを送付したことが認められるところ、井上鑑定の結論は、原告は助手席に、被告乙山は運転席にいたものと認められるというものであるが、同鑑定は、「樋口鑑定によれば第二次衝突により乗員は左前方約八度の方向へ押し出される」としながら、何ら理由を付することなく「頭部をルームミラーの取付部またはその近傍に打付けるためには該当者は助手席の側に居なければならないことは明白である。」として「少なくとも二回目の衝突時においては被告人(原告)は助手席側にいたということができる。」と結論づけており、前記(二)のとおり血液の飛散に至る機序等の前提部分については信用性があるものの、本件車両内の乗車位置を直接導く推論過程の合理性が必ずしも十分担保されているとはいい難いものがある。右結論とは逆に、原告が仮に運転席にいたとしても、本件事故の態様、その受ける衝撃力の大きさ及び方向に照らして原告の頭部の負傷の発生原因を合理的に説明することは前記のとおり井上鑑定の前提部分からも可能であるから、右前提部分について措信しうる井上鑑定も被告乙山が運転していたとの結論部分はにわかに信用を措けない。

4  以上に加えて、《証拠省略》によれば、水戸地方裁判所は、鑑定人樋口健治作成の鑑定書が取り調べられた第八回公判期日の後も証拠調べを続行し、右樋口健治並びに本件事故直後の本件車両内部の目撃証人である鈴木寿子及び鈴木鐸士の各尋問調書や捜査記録等数通の証拠書類を取り調べ、さらに本件交差点の検証や遠藤孚宣及び被告乙山(二回)の各証人尋問を実施し、原告に対する被告人質問も経てこれらの審理に公判期日を八回も重ねた上で論告、弁論の後に無罪判決の宣告をしたこと、右鈴木寿子の供述は本件事故後間もなく本件交差点へ事故の状況を見に行き、本件車両から約一、二メートルのところを車の後方から前方に向かって歩きながら左側窓ガラスの方を見ると車内の左側窓側に一人うつ伏せになっており、本件車両の向こう側(右側)にしきりに手で顔面を拭っている若い男が立っていたのを目撃したというものであること、茨城大学工学部助手であった右鈴木鐸士の供述は、本件事故直後に現場へかけつけ、本件車両の助手席側からのぞき込むようにして見ると若い男二人が運転席と助手席にうつ伏せになっており、運転席にいた男は頭をハンドルにもたげ、助手席にいた男は顔を動かしたりしていたがさほどひどい怪我とは思えなかったというものであったことが認められる。右目撃者両名の供述内容は必ずしも明確ではないが、これと原告の頭頂部挫創は被告乙山の傷に比較して大きかったことを考え合わせると、右目撃証言は被告乙山が助手席で原告が運転席にいた可能性を示唆する証拠として評価する余地があるものということができる。

5  以上の事実を総合すると、原告の主張するように、樋口健治作成の鑑定書が取り調べられた第八回公判期日において原告が本件車両を運転していなかったことが公訴の取消をしなければならないほどに客観的に明らかになったとは到底いえず、したがって、当時の公判担当の検察官甲斐中において公訴取消等の手続を直ちにとるべき義務が存していたと認めるに足る的確な証明はない。

よって、検察官甲斐中が公訴を維持、追行したことに何らの違法はないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告国に対する請求はすべて失当として棄却を免れないものである。

第二被告乙山に対する請求

一  被告乙山に対する請求は、第一に同被告の酒酔い運転が原因で本件事故が発生し、その結果本件車両の助手席に同乗していた原告が頭頂部挫創の傷害を負ったというもの、第二に本件事故は被告乙山が本件車両を運転していて発生したものであるのに捜査、公判を通じて原告が運転していた旨の虚偽の供述をすることによって、原告に対する検察官の違法な公訴の提起、追行に加担し、原告を故なく被告人の地位に置いたというものであり、いずれも被告乙山が本件車両を運転していたことを前提とする主張であるので、以下、まずこの点につき判断する。

二1  本件事故当時、本件車両に原告及び被告が乗車していたこと、検察官井上は本件事故に際して本件車両を運転していたのが原告であるとして昭和四八年一一月一〇日原告を業務上過失致死傷罪等の罪で水戸地方裁判所に起訴したところ、水戸地方裁判所は同月二八日の第一回公判期日以降審理を進め、昭和五五年五月一七日の第二二回公判期日において、原告に対し無罪判決を言い渡し、同判決は同年六月一日確定したこと、被告乙山が本件事故直後に現場を立ち去ったことは、原告と被告乙山との間で争いがない。

2  《証拠省略》によれば、本件事故に至る経緯、本件事故の態様、本件事故により生じた本件車両内部の損傷状況、本件事故による原告及び被告乙山の負傷の状況、本件車両内部の血痕の付着状況、本件事故後の原告及び被告乙山の行動、供述等については、前記第一の三2の(一)ないし(六)で認定したとおりであることが認められ、右認定を左右するのに足りる証拠はない。また、《証拠省略》によれば、佐藤、樋口、井上の各鑑定はその結論において本件車両を運転していたのは被告乙山である可能性が極めて高いとしていたことが認められる。

3  右のとおり、被告乙山が本件事故当時本件車両を運転していたとの原告の主張に副う事実及び証拠として、以下の(一)ないし(五)を挙げることができる。すなわち、

(一) 被告乙山が本件車両を運転していたとばかり思っていた旨の郡司範雄の警察官に対する前記供述。

(二) 《証拠省略》によって認められる走行中の自動車が他の物体と正面衝突した場合の運転席乗員の通常の負傷部位と被告乙山の本件受傷部位とがほぼ符合し、同じく助手席乗員の通常の負傷部位と原告の受傷部位とがほぼ符合するといえること。

(三) 本件事故直後、本件事故現場を立ち去った被告乙山の行動。

(四) 原告が捜査段階の途中で、本件事故直前の記憶はない旨供述の一部を変更し、本件刑事裁判の公判廷において本件車両を運転していたことを全面的に否定するに至ったこと。

(五) 佐藤、樋口、井上の各鑑定。

4  しかしながら、右(一)の郡司の供述の信用性が低いことはすでに第一の三3(二)(3)に説示したとおりであるが、さらに《証拠省略》によれば、同人は公判廷において、弁護人に対しては原告が助手席に乗って発進したと断定的な供述をしておりながら、途中で検察官の「どこから原告は乗ったか。」との質問に答えて「陰になっちゃって本当に見えるわけないんですけれども。」と供述を変えるなどその供述内容が一貫性を欠いていることを合わせ考えると郡司の右供述はにわかに措信することができない。また、右(二)、(三)の事実についても第一の三3(二)の(2)及び(4)で説示したとおり、いずれもこれをもって被告乙山を運転者と認定するに足りない。さらに、右(四)については、原告の捜査段階における逮捕直後その変更前の供述が、供述の内容や態度等に鑑みて措信しうるものであることは既に説示した通りである。さらに、全面否認に転じた本件刑事裁判の公判廷における供述内容は、《証拠省略》によれば、徐々に自己に有利なものとなり、「本件事故当時は助手席に乗っていた。」旨明言するようになったほか、遂には、「昭和四八年一〇月二三日の検察官に対する弁解録取書作成の時点から自分は運転してはいなかった旨弁解を始めた。」と供述するようになるなど、捜査段階の当初の供述内容に比して次第次第に自己に有利な供述へと移行しており、不自然さを感じさせる。次に、右(五)については、前記各鑑定の結論にそれぞれ疑問点が存することは前記第一の四3において説示したとおりである。そうすると、右(一)ないし(五)の事実及び証拠をもってしては、いまだ本件事故当時、本件車両を運転していたのが被告乙山であると認定するに足りず、他に右事実を認めるのに足りる的確な証拠はない。

三  もっとも、本件公訴事実につき原告が無罪の判決を受け、同判決は確定している(本件公訴事実の内容が別紙公訴事実のとおりであることは弁論の全趣旨によってこれを認めることができる。)が、理由第一で認定したとおりの事実関係のもとにおける無罪判決であるから、右無罪判決の確定の事実から、直ちに、本件車両の運転者が原告ではなく、被告乙山である、と推認しうるものではない。

四  そうすると、被告乙山が運転していたことを前提とする原告の被告乙山に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当として棄却を免れない。

第三結論

以上に認定した通り、原告の被告らに対する請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河野信夫 裁判官 滝澤孝臣 奥田正昭)

<以下省略>

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